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2011/07/17

耳を失う

ということを考えました。
いや、あの、
ヴィジュアル的にね。




目を失う、と、書けば、
眼球を潰しますよね。

光を失う、ならば、
眼球は潰れていなくてもいい。


そういう感覚的な意味で、
え、では、
耳を失う、って、なんですか。







耳たぶを失うことは、耳を失うことかはたして。
いや、ビジュアル的に”耳”というと、
大いに「耳たぶ」のことを指していそうですけど、
いや、でも、
”耳”の本質って、
もしかして、
「穴」じゃありません?

まぁもっと突っ込めば、「鼓膜」ですよね。
少なくとも、耳たぶは、耳の本質ではない。




ただし、
同じ事を目に関して言えば、
耳たぶ、に相当するものは、
たぶん、水晶体じゃないかしら。

そして、
目が悪いということ、
いわゆる近視というやつの理由は、
網膜―耳で言うところの鼓膜―ではなく、
水晶体にあります。
正確には水晶体を制御している筋肉ですけど。







いや、どうでもいいんですけどね。

2011/07/12

臨界事故

という、極めて不謹慎な曲を書きました。



いや、あの、
3月も下りの頃に、
例えば、一例としてですけど、
要するに放射性物質がかなりやばそうだ、
東京も笑ってはいられない、
というような雰囲気になって、

関西に逃げようか、とか、
せめて子供だけでも西の親戚に預けよう、とか、
そういう流れもあったわけです。



で、
それを、子供の側が拒否したとします。




さて、これは、親にとっては、、、




もちろん、”事故”は、炉心融解であって、
もっと大きく言えば地震であって、



では、
結果として「被害」を被ったとする、
その直接的原因はと言えば、

炉心融解も、地震もそうなんですけど、
子供が”拒否”した事も、原因のひとつですよね。




では、恐れている”事故”とは、じっさいいったい、何なのか。






そんなことを考えていて、
”事故”が、”自己”に見えてきた。
もしかして、あなたが恐れているのは、私なんじゃありません?www








そんなことを考えて、
しかし、地震そのものの被害―もちろん津波を含めて―を受けた東北では、
もう圧倒的に、ごちゃごちゃになってしまっていて、そんなことは問題ではないんですよね。












まだ余震の可能性があるだとか、
放射性物質がどうだとか、
そういうことを気にするのであれば、

親しい人が、現地にボランティアに行こうと決意してしまった、
それもある種の”事故”と考えてしまえるかもしれない。
ただ、その「現地」では、
そんなことは問題となされていない。






どうでしょうね。
難しい問題ですけど。
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